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13期生 松尾  秀樹
地元の中小企業を支える浜松商工会議所に勤務。趣味のバイクの話題なども期待できそうですね。



 連載 第2回
【今に生きる徳川家康公の功績】


 「井伊谷」を舞台に展開する大河ドラマが放映されて半年、直虎が「無名」であることを考えると、十分健闘していると言えるのではないでしょうか。

 当主として小さな谷を守ろうと、懸命に生き抜いていく直虎と、北条、武田、織田、徳川と大国に囲まれて翻弄しながらも、井伊家が将来を託した「直政」が活躍していく姿が後半の見どころなのでしょう。個人的には、三方ヶ原の戦いがドラマの中でどのように取り上げられていくのか楽しみです。

 ところで、ドラマの中で「三河のぼんやり」として登場する徳川家康は、直虎にとって特別の存在となりますが、浜松にとっても特別な存在であることは浜松市民に知られています。歴史の偶然と必然がもたらしたでき事は、現在でもいろいろな形で残されていますね。

 ご存知のとおり、1570年に家康は引馬を浜松として改めて浜松城を築き、29歳から45歳の青年期の17年間を浜松城で過ごしました。もともとは当時の遠江国の政治の中心であった見付(磐田市)に築城中であったものを信長との関係を重視した家康が移築したという話であります。

 これにより、いわゆるGodfather(名付け親)としても家康公は浜松に名を残すのですが、信長からすると支配下に置いた家康に、武田氏との戦いで「背水の陣」を取らないで済むよう移築させたうえで、東海道の要所を最も信頼できる者に守らせたかったのでしょう。結果、三方ヶ原では負けたものの生き残ったのはこのためとの見方もあります。

 浜松時代の家康は血気盛んな青年武将でした。ところが、31歳で三方ヶ原の戦いで破れ、38歳で長男信康、正室・築山殿を無くし、それをもって絵にならないとおっしゃる方もいるが、まったく間違っていると思います。信長とともに武田家を滅ぼしたのは41歳で三方ヶ原から10年後にはリベンジをはたし、浜松城を出る時には、秀吉政権下でナンバー2に登りつめたからです。ただ、この辺の歴史を知るものは静岡県を離れるとほとんどい知られていないのが現実です。

 浜松時代の家康の最大の遺産はなにかと考えると、エピソードの宝庫と言われる三方ヶ原の戦いや浜松城、天下人になった家康と戦国武将や海外にも及ぶネットワークでしょう。今を生きるわたしたちにとって、その遺産をもっと大切にしていく必要があるのではないでしょうか。何故なら都市の品格は、歴史そのものであると思うからです。

<参考>
 2020年には浜松城450周年、2022年には三方ヶ原450周年を迎えます。




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