HOME > 忠内理絵コラム02

連載 第2回
【南高・のすたるじぃ】

25期生 忠内理絵(ただうちあやえ)(旧姓:堀内)

高校卒業後、日本外国語専門学校へ進学。鈴与株式会社で税関への輸出入申告を行う通関誱に配属。その後はフリーペーパー出版社に長年勤務し、 2012年にフリーランスの編集者・ライターとして独立。静岡新聞社発行「浜松ぐるぐるマップ」では出版元と共働し、まるごと一冊を総括する。三度の飯より猫が好き!





 2015年1月3日の「波濤に集う」は20期生さんが幹事イヤー。会誌の製作にはライターとして、諸先輩のインタビュー記事を書かせてもらいました。先輩たちが当時を懐かしむ姿を見て私も思い出し、ほくそ笑んでいました。「ゆるくてのんびり、自由な校風」の中、私ものびのびと過ごしていたなぁとニヤリ。





 私が23歳と28歳の時、先に母で五年後に父が他界。母の病気が発覚したのは、高校に入ってすぐでした。長女を甘やかして育てたことを後悔した母は、次女の私にとにかく厳しい!「人は怖いイキモノだ」と思い込み、いつも誰かに怒られるんじゃないかって挙動不審になってしまうほど(笑)私にとって強くて気丈な母が弱っていく姿は、まだ高校生の若者にはちょっぴり耐えられず…。そんな闇を心に隠し持った三年間でした。母の替わりに、父が不慣れな手つきでお弁当を作ってくれるのです。友達のお弁当は見目麗しいのに、男手の内容は茶系で「お惣菜詰めました」って感じ(笑)思春期の私はみんなの前で開封するのが恥ずかしく、わざと自転車のかごに忘れては、スーパーいぐちかこずえ商店(懐かしい!)へスリッパのまま買いに行き、先生に見つかり怒られるパターンを繰り返していました(笑)




 同級生とは「波濤に集う」をきっかけにたっぷり懐かしむようですが、実は私、南高 50周年記念事業に少し関わり、お先にノスタルジーをめいっぱい満喫させてもらっちゃいました。卒業以来の南高は、なんて表現したらいいのでしょう。「きゅ~~~~ん!」って感じでした(笑)渡り廊下で黄昏ている姿を先輩には笑われましたが、在校生達が放つキラキラが本当に眩しくて。私もあの頃はあんな風に、笑顔でこの校舎を跳ねるように歩いていたんだろうな。そんな自分の姿を思い描いては、きゅ~~~~ん!(笑)




 ちょっと泣きたくなったのは、十年後には両親ともこの世にいないことを、あの頃の私は知らない。母の病気が発覚して心配を抱えた家庭だったけど、父母に守られている安心感は確かにあり、その幸せが永遠に続いていくのだろうと100%信じで疑わなかった当時がうらやましくてたまらない!他界して随分経つので忘れていましたが、コートを羽織ることができない木枯らしの中で、体は芯まで冷え、心に鎧を付けて悲しみを隠していた、父母を亡くしたばかりの心もとなさも蘇ってしまいました。




 当時をキャッキャと懐かしむというよりは、私の高校時代はそんな背景で少々切ない。弱った母を直視できなくて、進学で上京したのが秘密の理由。子供だったなぁ…。東京の企業に就職が内定していたにも関わらず、違和感を覚えて取り消してもらうことに。後発で浜松市内の企業への就職活動にシフトしたわりには、案外早く決まってハタチで帰郷。三年後にはお別れがくることを、どこかで感じていたのかも知れませんね。就職は決まったものの出席率が足りなくて(どんだけサボってたんだ?)、卒業が危うく大変だったことは死ぬまで親には内緒だったけど(笑)


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